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小児神経外科を知る!
― 若手脳神経外科医,研修医,医学生へ向け,小児神経外科認定医が語る生きた情報 ―

この道を選んだ理由,魅力,認定医までの過程,ワークライフバランス,各方面との交流などを公開して行きます.

小児病院勤務(卒後22年)

 実は初めはこどもと接するのが苦手で、元来は成人の脳腫瘍を専門としていました。脳腫瘍の更なる専門性を高めたいと思い、希少疾患である小児脳腫瘍をトレーニングする目的で小児専門の病院に移ったのですが、そこで学んだ小児脳神経外科一般診療にサイエンスとしての大きな魅力を感じたことがこの世界に自分が今いる経緯です。 小児疾患の診療では、「疾患を治療する」から「症状を治療する」へ、さらには「患者の人生のための診療」へのマインドセットの変更が大切だと考えています。つまり、手術がうまくいったか、術式は適切だったか、そもそも手術をする必要があったか、という問いの答えは10年後や20年後になって初めてわかるのです。そこには単一外科医の短い経験だけでは答えの出せないClinical Questionsがたくさんあり、それらに回答するには過去未来のエビデンスの蓄積と把握が大きな重要性を持ってきます。生死に関わるデータだけではなく、まだまだ成長していくこども達の未来の知能を含めた機能予後を考える、まさに機能的脳神経外科なのだと私は考えています。
 小児脳神経外科は手先の技術以上に、皆様の頭脳を必要としています。未来あるこどもたちに最適な診療を提供することを目指して、一緒に考えていきませんか。


一般病院勤務(卒後40年)

 東京オリンピックの年の出来事です。2021年ではなく、1964年の話です。6歳の子が夏休みの始まったばかりの日、公園から帰りの横断歩道で軽トラックにはねられ頭を打ちました。その子は近くの小さい病院に救急搬送されました。病院から大学病院外科に連絡があり、一人の若い外科医が病院に向かい、緊急で右側頭骨開放性骨折、急性硬膜外血腫の手術をしました。先生自身で執刀する初めての手術でした。骨片除去、外減圧術として手術は成功しました。その子は翌年合成樹脂による頭蓋形成術を行い、無事に成長していきました。先生は小児神経外科の名医になりました。ある日外来で先生がその子にたずねました。「将来何になりたいの?」その子は答えました。「先生みたいな子供の脳外科医になりたい。」先生は笑っていました。時が経ち、次の東京オリンピックの2021年、その子は小児神経外科医になっていました。先生は前年に小児神経外科にかけた 人生を終わられました。先生は中村紀夫先生です。先生には程遠いですが、私も何人かの子供の命を救うことができました。次の東京オリンピックの年には皆さんが小児神経外科医として活躍してくれることを願います。


地方の一般公的病院勤務 男性(卒後32年)

 小児神経外科医として患者家族との関わりは、大切にしてきました。特に初診時の対応には、充分気を遣うようにしています。子どもに病気があるとわかり、受診されたご家族の不安は大変大きなものです。悪性脳腫瘍では生命予後は厳しいことが多く、奇形疾患では障害を抱えて今後の人生を歩むことになります。予後を正確に伝えることはもちろんですが、これから治療を進める上で希望をなくされ無いようにすることも大切だと思っています。
 そこで「子どもは無限の可能性を秘めているので、まだわかりません。可能性を信じて、一緒に頑張りましょう。」と伝えるようにしています。脊髄髄膜瘤の治療後の子どもが、外来に装具装着下ですが自力で歩いて受診してきたときに母親から「先生に歩けるようになることもあるので、希望を持って見守りましょうと言ってもらえたので頑張れました」と言っていただけ時は、嬉しかったです。


小児病院勤務 男性(卒後30年)

 私は医師11年目まで、地方病院で脳卒中診療に明け暮れていました。「何か人と違うスキルを持ちたい」。当時は脊髄認定医を取得しようと、こつこつ症例を集めているところでした。そこへ教授から「小児をやってください」。「えっ」。突然のオファー。私は小児医療を学ぶため本州へ単身赴任。苦労もしましたが、研修先の国立成育医療研究センターで、『こどもたちの長い将来のために携わることの重さ』を、身をもって知ることができました。新たなやり甲斐を見つけたのです。現在地元で、小児については、大学関連施設の垣根を越え広く頼っていただける状況になりました。大変充実、満足しています(当時の教授へこっそり感謝しています)。


一般病院勤務 男性(卒後49年)

 小児神経外科の治療は急性期だけではなく、慢性期、超慢性期までの流れがある。急性期が同じような病態であっても児の周囲環境を見据え、将来を考えて対応が異なる。そして、成長に伴う継続的治療方針があり、それに伴い慢性期、超慢性期治療がある。例えば水頭症はシャント依存によるトラブルを回避するために、シャントを用いない治療や離脱を極力探求するし、障がいが残りそうならば新たな外科的治療を加えるだけでなく療育、教育、道具などを用いて社会適応能力をつける。
 小児神経外科は50数年の歴史しかなく、治療した子ども達が今ようやく30歳位になってきて何となく流れが決まってきたが、各々にどうしていくのかという治療方針はまだまだ課題を残している。私達も振り返って提言をしていくが、若い諸君は小児神経外科は解っていない挑戦の中にある分野であることを認識し、不可能を可能にする努力、そして患児家族の幸せを追求してほしい。



  

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